池上彰の世界の見方 東南アジア

 

 

概要および知らなかったことだけメモ。

 

東南アジアは基本的に西欧の国が植民地にしていた。第二次世界大戦では、日本が大東亜共栄圏という建前で資源を求めて占領した。終戦後、日本は東南アジア諸国に賠償金を支払っているが、当然日本も経済的に厳しかったこともあり賠償金を随分値切った。その後日本が立ち直ってきたところで賠償金を十分支払えなかったこともあってか、ODAという形での支援をし始めた。

ポイントとなるのは、日本はお金を送っているのではなく貸している。あげるより貸したほうが、いずれ返さなくてはならない分、当事者意識を持ってプロジェクトに臨もうとする。長期的に見てそのほうがその国のためになることなのだ、という日本が終戦後経験したことに基づいた考えである。(日本も黒四ダムなどは世銀から融資を受けた)

 

ベトナム

日本軍撤退後、戦前に占領していたフランスが戻ってきて、社会主義ホーチミン軍と戦争になるが、フランスは降伏。(ホーチミンのバックにはソ連、中国、フランスのバックにアメリカとまさに代理戦争)。この結果、朝鮮半島と同様に南北に分かれる。(フランス降伏でなぜ南北に分かれるのかよくわからない、ベトナムも一枚岩ではなかったということか?)

フランスが撤退しても、アメリカが残って南ベトナムを支援、ベトナム戦争に突入するも泥沼化。アメリカ国内からも批判が大きく、和平交渉をして撤退する。その後北ベトナムが勝って、サイゴンホーチミンになり、社会主義国家となるかと思われたが冷戦の終了とともにソ連からの援助もなくなり、社会主義を徹底する雰囲気は薄れて経済活動は自由になった。=過激な社会主義の脅威はなくなった。

 

なお、ベトナム戦争の最中に、フルシチョフによるスターリンの個人崇拝政策批判を、同じく個人崇拝政策を実施していた毛沢東への批判と捉えて中ソが対立するようになる。ソ連アメリカに対して一緒に中国を潰そうと持ちかけるもアメリカは拒否して、それをNYタイムズにリークして全世界に発信。さらに中ソ対立が深刻化する要因となった。

アメリカは何故それほどまでに社会主義を恐れたかというと、社会主義にとって特権階級、資本家は敵であり、ロシア帝国など実際に滅ぼされている。自国でもそれが起こってしまったら・・というのをアメリカの特権階級、資本家は恐れたのだという。

 

シンガポールとマレーシア

華人が優秀でマレーシアの社会の富を牛耳ってしまったので(この経緯を詳しく知りたい)マレー人優遇政策によって華人が追い出されてシンガポールが出来た。富裕層が移住してきたくなる国、つまり税金の安い国を目指して作られた。

政治は一党独裁だが、GDPも高く、国全体が豊かなので政治への不満が表面化しない。(しかし、政治への不満があるとしたら一体どのようなものなのだろうか、気になる)

一方のマレーシアは選挙での政権交代が起こった民主的な国、でもマレー人優遇政策などの排他的なところもある。

 

インドネシア

独立戦争を主導したスカルノ大統領の第三夫人がデヴィ夫人スカルノ憲法を廃止して、独裁政治をしていた。(大統領の一存で憲法を廃止できる仕組みなんかい!と思うけど)インドネシア国軍の反発が多分にあったが、スカルノ共産党を引き入れて軍部に対抗した。

インドネシア共産党中国共産党に焚き付けられて国軍の幹部6人を暗殺(とされている。これが930事件)スハルト将軍は共産党の仕業であると断定して、共産党関係者50万人を虐殺。スカルノは930事件への関与を追求され失脚した。

という話なんだが、どうもマッチポンプの匂いがする。強すぎた共産党の勢力を潰してドミノ現象を抑えたいアメリカを始めとする西側諸国の支援をスハルトは受けていたのではないか。だって、幹部が殺されたあとのクーデターの鎮圧も怪しいぐらい迅速すぎたし、元々共産党が武力革命を起こそうとしていたのであれば武装などの備えはもっとあったはずであり、無抵抗に50万人も殺されたりしない。恐ろしいのが、そんなジェノサイドをやった政府が勝てば官軍宜しくで正当化されており、現在でもあの行為は正しかったということで蓋をされている。なんなら自国民の虐殺をやった下手人たちが英雄として扱われて本人もそれを自慢気に話している。異常な世界だ。

それに一石を投じようとした映画があると本書でも紹介されていた。是非見たい。ちなみにクーデターと革命の違いは、クーデターは現体制下での政権交代を武力を用いて行うこと。革命はそれまで合った権力を根っこから転覆させて新しい権力を打ち立て、政治体制だけでなく経済体制までひっくり返してしまうこと。この理論で行くと、明治維新は明治革命と言えると唱える学者もいるらしい。

 

タイとフィリピン

タイは東南アジアで唯一植民地にならなかった国。国土の東西で英仏両国の植民地に囲まれていたので緩衝地帯とされていた。第二次世界大戦でも日本に協力する姿勢を見せて占領されずに済む等、うまくやった。

フィリピンはドゥテルテ政権で麻薬取締を厳しくし、すぐに死刑にしてしまうので国際的な批判を受けている。だが、その御蔭で治安が急激に良くなりドゥテルテは国内で支持を集めている。

 

カンボジア

ベトナム戦争時代に北ベトナムから南ベトナム内の反乱分子である解放戦線にカンボジアを通るルートで補給を行っていた。アメリカは補給を絶ちたいので、カンボジアルートでの補給を容認していた政府に対してクーデターを起こさせた。クーデターは成功し、新政権が樹立されるも、共産党が旧政府を支援して内戦に突入。このときの共産党の指導者が悪名高いポル・ポト

新政府軍を倒すも、ポル・ポトによる大虐殺(知識の否定のためインテリを全員殺した)が始まった。国は次第に貧しくなっていって国民から不満が上がるが、ベトナムを敵国とすることで不満を外に逸していた。が、ベトナムにちょっかいを出しすぎて反撃されてポル・ポト政権は倒されてしまっている。虐殺により国力を落としすぎたか、国民の求心力を失っていて支援されなかったかであっさりと倒れた。

 

ミャンマー

ミャンマーもクーデターで社会主義国になっていたが、民主化を目指す団体がアウンサンスーチーを擁立して選挙に勝利するも、アウンサンスーチーは軟禁され、民主化の動きも武力で弾圧されてしまう。アウンサンスーチーは非武力での抗議活動で1991年にノーベル平和賞を受賞する。長年の活動の甲斐もあってミャンマーは2015年に民主化アウンサンスーチーは国家顧問のポジションにつく。

ただし、ミャンマーロヒンギャ差別問題を抱えており、アウンサンスーチーは国家顧問でありながらこれに対応を見せていないことから国際的な非難を受けているという状況。彼女を支持している政治母体がロヒンギャを認めてないからかも知れない。もう少し調べてみたい。