アクト・オブ・キリング

池上さんの東南アジアの本で「こういう映画がある」と、タイトルもなく紹介されていたのが逆に興味をそそられたので「アクト・オブ・キリング」「ルック・オブ・サイエンス」の姉妹作を立て続けに鑑賞。

 

アクト・オブ・キリング(2012年)

 

インドネシアにおける1965年の930事件の直後に、国軍による共産党関係者の大虐殺(死亡者数:50~300万人)が行われた。本作は、50年前の事件の加害者たちへのインタビュー風景を中心にしたドキュメンタリー作品。

 

主人公の老紳士アンワルはおよそ1,000人の無抵抗の人間を虐殺したことを今も自慢している元ヤクザ。この男が狂っているのではなく、この男が今も英雄視されているのがインドネシアという国だ。アメリカ人であるこの映画の監督は、数十人もの加害者にインタビューを敢行したが、ほぼ全員が今も後悔しておらず、悪びれる様子も見せなかった。

しかし、このアンワルだけは、自分のしたことの正当性を疑っていない面と、良心の呵責に苦しんでいる面が共存した不安定な様子がほんの僅かに垣間見えたのを監督は見逃さなかった。アンワルの内面を掘り下げて撮影するために監督はある特殊な仕掛けをした。

アメリカ映画が好きなアンワルに彼の武勇伝の映画を作らないかと持ちかけたのだ。アンワルは快諾し、メイクや小道具にもこだわり楽しげに再現してみせる。映画内映画、つまり映画のメイキング映像を撮っているという説明をしていたのが実は本編であるとうのが前代未聞の試みだ。

後始末の楽な殺し方の解説、拷問するシーン、村を焼き払うシーン。胸クソが悪くなるシーンのオンパレードだが、段々とアンワル自身も胸クソが悪くなってきてなんとも言えない表情をするようになってくる。終盤では自分が「拷問される側」のシーンに臨むも耐えられなくなり撮影をストップさせてしまう。そして最後には〇〇が止まらなくなってしまう。

 

(感想)

特に印象的だったのは、拷問される役のエキストラとしてアンワルの隣人が参加するのだが、ノリノリで進む撮影の合間の雑談で彼が例の事件で父を殺されて死体を埋める経験をしていたことを告白する。当時、下手人で、今も街の権力者であるメンバーたちに囲まれ、彼は全力で恐縮しながら話す。メンバーたちはその話をスルーするのだが、その後の撮影では拷問されるエキストラの彼が本気の嗚咽を見せる。色々フラッシュバックしてしまったのだと思うが、やるせないシーンであった。このときメンバーの中でもアンワルだけは表情が変わっていた。

当時、共産狩りをやっていた組織は現在も自警団として存在して、大臣など国の中枢とも繋がっている。過去の暗部をモロに白日の下に晒してしまうことで監督が暗殺されたりしないのか心配になったが、常に脱出できるように注意を払っていたり、映画の公開前には現地を去っていたりとかなり気を使っていたそう。

アンワルも自分のやったことの非人道性を序盤は全然理解しておらず、本気で武勇伝映画を作ることが国のためにも良いことだと思っていた人なので、この映画が公開されることで国際的な常識を持った若い世代から非難を受けるであろうこと等をきっちり説明しているのだろうかとも思ったがそのあたりのことは監督のインタビューである程度クリアになっていた。アンワル自身にも完成した映画を見せて、非常に感情的になった様子などが語られていて興味深かった。

 

監督のインタビュー記事

https://crisscross.jp/html/a20o0005.htm

https://www.cinematoday.jp/page/A0004312

https://www.yidff.jp/interviews/2013/13i015.html

 

 

ルック・オブ・サイレンス(2014年)

 

同じ事件の被害者側にスポットを当てた作品。兄が殺されている主人公アディは被害者遺族だ。彼の家族は50年経っても近所に住む下手人の自警団に憎しみや怯えを感じながら暮らしている。アディは前作のために集められた映像資料の中で、実際に兄を殺した人物たちのインタビューを見つける。彼はこれらの人に会ってみたい、会って自責の念を感じているかについて確認したいと申し出る。彼は眼鏡屋で、眼鏡の度を調整する名目で自宅訪問して当時のことをさり気なく聞いていく。

 

(感想)

前作同様に下手人たちは悪びれる様子もなく自慢気に話していたが、実はそれは自分の兄なんだと告げられると長らく無言になり、目が泳ぎ始める様子が完璧に映像に収められていた。そして、しらを切る、責任転嫁、逆ギレ、脅迫。それも胸クソ悪いのだが、一番心に残ったのは加害者の娘の「父がそんなことをしていたなんて今初めて知ったの、父は認知症を患っているしもう許してあげて。私たちはもう家族でしょ?一緒に過去を乗り越えて行きましょう」という言葉。

個人的には、逆ギレされるより、懐柔しようとしてくるほうが癇に障るな〜と思ってしまった。この娘さんも当事者ではなく何の責任もないし、こう言うしかなかったのだろうけども。

インタビューを見たところ、アディさんは映画公開の前に安全な場所に家族で引っ越したのだという。絶対その方がいいだろう。
インタビューの中でも書かれていたが、やはり映画を公開したことで監督は上層部にマークされてインドネシアに入国すれば命の保証がない立場になってしまっている。

 

監督のインタビュー記事

http://webneo.org/archives/33004

https://www.excite.co.jp/news/article/E1436434054045/

 

当時日本もアメリカ側につき、インドネシア国軍のこういった所業を黙認していた一員として責任があると言われているが、安保闘争とかやってた時期であってアメリカに背いて反対することが出来たか?と考えると非常に厳しかったのではないかと思った。

アメリカ、ロシア、中国、西欧諸国、そして日本もそうだが、他所の国まで引っ掻き回してロクなことしないな。まぁ他国に出し抜かれないことしか考えて無かったんだろう。このあたりどういう行動原理なのか気になるので、次はアメリカを勉強してみたいと思う。