池上彰の世界の見方 中国・香港・台湾

中国もかなり内容が濃くて面白かった。

 

<歴史>

清の皇帝による君主制(最終皇帝は溥儀)を打倒し、民主国家の成立を目指し、孫文辛亥革命を起こす、革命は成功し中華民国が誕生。孫文の死後、孫文の正当である国民党を蒋介石が受け継ぎ独裁体制を築くが、日中戦争、WW2で疲弊したところを毛沢東率いる共産党に追われて、国民党は台湾に逃れた。アメリカが支援して中国が台湾へ手出しできないようにした。台湾は日清戦争で日本が勝って割譲されて、WW2までは日本初の植民地となっていたが中国に返還されていた。

 

<重要人物>

毛沢東:建国の父だが色々と失政があった、権力に最後までしがみついて腐敗した

劉少奇毛沢東に政権を譲られたが、方針が合わず文化大革命を起こされて立場を追われた

鄧小平:共産主義にこだわらず、国の発展を重視した。現代中国の父と言われる。

 

中国共産党について>

中国は共産党一党独裁の国、憲法共産党の指導に従うと書いてあって、憲法より共産党が強い。発展途上国を開発するには一党独裁のほうがスムースに進められるのは事実であり、インドは民主主義だが、様々な利害関係の交錯からインフラ整備も進まないし、政治も上手く機能していないとのこと。

共産党の党員は8千万人で優秀な人材がスカウトされて入党する(断ることは出来ない)。会社でも大学でも、一番権力を握っているのは社長や総長ではなくて、それぞれの組織内にいる共産党の書紀。だから、中国企業とのやり取りでも旧に共産党の意向が割り込んでくることもある。

 

天安門事件

1989年、ゴルバチョフの訪中に合わせて民主化を目指す学生のデモを共産党の軍隊(人民解放軍)が武力排除した。民主化運動を弾圧した歴史というのはイメージが悪くなり共産党にとって都合が悪いので、中国国内ではインターネットで検索ができなくなっている。

 

<中国と台湾、中国と香港の関係>

2014年、中国と台湾の市場開放を目指すサービス貿易協定締結に反対して、ひまわり運動が行われ、協定の締結が見送られた、この影響を受けて政権が国民党から民進党に移った。

アヘン戦争で負けて、香港島はイギリスの植民地となった。香港島の周辺地域も99年間租借していたが、それを返還するタイミングで香港島も含めて全て返還した。香港の人たちは社会主義が嫌で逃げ出す人もいたが、それでは中国側も困るので香港だけは資本主義を続けていいし、言論や表現の自由も認めた(一国二制度

しかし、2014年、行政長官の選挙は実質的に共産党が指名するという制度へ変更されたことへの反対運動(雨傘運動)が起こった。非暴力のデモに対して催涙ガスを使う警察に対し、世界中から批判が集まった。民主主義が根付いている台湾のひまわり運動と違って、中国では共産党が変わらなければ何も変わらず、運動は尻すぼみになっていった。中国ではアラブ諸国におけるアルジャジーラなど反政府活動でも自由に取り扱うメディアがないということも大きい。

 

<中国とチベットとの関係>

チベットは比較的最近中国に併合され、自治を許されているが、共産主義と宗教(チベット仏教)は相容れないものであり、チベットを完全に支配下に収めるために主導者のダライ・ラマは命が狙われている。中国政府は、次代のダライ・ラマの転生者を選ぶことのできるパンチェン・ラマの転生者を拉致し、変わりのパンチェン・ラマ共産党員の子から勝手に選ぶなどの暴挙に出ており、未だチベット問題は解決の糸口が見えない。

 

<中国の経済>

中国は一党独裁のもと、統制の取れた経済政策で高度経済成長してGDP世界2位まで昇りつめたが「ルイスの転換点」を迎えて急激にブレーキが掛かった。ルイスの転換点は、経済成長したことで人件費が上がって安価な労働力が底を尽くこと。日本でも同様のことが起こったが、世界的に新しい技術が続々登場した時期と重なったため、家庭の消費力(冷蔵庫、テレビなどの需要)が上回ったのでブレーキが掛からなかった。中国はもっと法治国家になって、外国企業が安心してビジネスできるようになることがこれからの発展の鍵を握るとされている。

 

<中国のマナーの低さについて>

かつての日本も、ゴミは電車内や道に捨てる、所構わずタバコを吸う、痰を吐くだったが1964年の東京オリンピックをきっかけにマナーアップが行われた。国が本格的に発展してから、まだ時間が経っていない中国もじきに国際標準に追いついてくる。